ここで紹介しているチームは、当店が過去に製作したチームの一部です。ここで紹介したチーム以外も製作出来ますが、このサイトで製作可能なレプリカユニフォームは当該球団が既に消滅し、登録商標の権利等の帰属が存在しないチームに限らせていただきます。詳しくは御相談下さい。

1954年の高橋ユニオンズ・ビジターユニフォームシャツ

高橋ユニオンズとは後年の千葉ロッテマリーンズです。この球団名は1年限りで、翌1955年にはトンボユニオンズと改称しました。

1967~68年の東京オリオンズ・ビジターユニフォームシャツ

前年の’66年秋に来日したロサンゼルス・ドジャースの影響か、それまでストライプにこだわっていたユニフォームスタイルからストライプが消え、イメージがドジャースっぽくなりました。

1955~56年 大映スターズ・ホームユニフォームシャツ

大映スターズは、千葉ロッテマリーンズの前身です。この当時、パリーグは8球団制でした。今では考えられませんね。永田ラッパこと永田雅一オーナーが全権を握り、辣腕をふるっていました。

1955~59年の国鉄スワローズ・ホームユニフォームシャツ

この5年間は金田 正一投手の全盛期で、5年連続20勝以上の勝ち星を稼ぎました。

 

1967年の東映フライヤーズ・ビジターユニフォームシャツ

1967年の東映フライヤーズ・ビジターユニフォームです。1961~67年の7年間にわたって水原茂監督が指揮を執りました。その間、全てAクラスという素晴らしい成績でした。水原監督最後の年の’67年のみ、ビジターユニフォームがモデルチェンジしました。

1968年の東映フライヤーズ・ホームユニフォームシャツ

この年、水原茂前監督から大下弘新監督にバトンタッチされました。前監督のデータ野球から一変、自由奔放な大下野球でしたが、成績はあえなく最下位でした。

 

1949年の東急フライヤーズ・ビジターユニフォームシャツ

この年のユニフォームに限って、左胸に熊のマスコットマークが描かれていました。この熊のマークはこの年限りで姿を消しましたが、くしくも後裔の日本ハムファイターズで復活しました。

1955~59年の国鉄スワローズ・ビジターユニフォームシャツ

金田正一投手がエースとして君臨し、このユニフォームの5年間は全て20勝以上という素晴らしい成績でした

 

1980年の南海ホークス・ホームユニフォームシャツ

このユニフォームを使用した’80年の成績は最下位で、翌年からこのユニフォームは使われなくなり、1年限りのユニフォームでした。

1978~83年の南海ホークス ホームユニフォームシャツ

前年の’77年に野村監督が解任され、翌78年から広瀬監督が就任もチームは低迷 このユニフォームの時代の南海は低迷期でした