ここで紹介しているチームは、当店が過去に製作したチームの一部です。ここで紹介したチーム以外も製作出来ますが、このサイトで製作可能なレプリカユニフォームは当該球団が既に消滅し、登録商標の権利等の帰属が存在しないチームに限らせていただきます。詳しくは御相談下さい。
1957年に高橋ユニオンズと大映スターズとが合併し、大映ユニオンズという球団が誕生しました。ただ、実際には高橋ユニオンズが大映スターズに吸収合併され、大映ユニオンズという新球団が誕生したというのが実情のようです。
東京セネタースというチームは1936年に設立されましたが、承継球団が現れず、1943年に消滅しました。二塁手の名手・刈田久徳を中心とした内野守備は「100万ドルの内野陣」というニックネームがつきました。
このユニフォームは、当時のミルウォーキー・ブレーブスのスタイルほぼそのままです。なかなか洒落ていますね。さすがに左袖にはトマホーク(斧)マークではなく、勇者マークが付いていました。
1936年の2月、アメリカ遠征に向かう東京ジャイアンツの試合が名古屋で開催されました。対戦相手は名古屋金鯱。これが記録に残る限りでは、本邦初のプロ野球チーム同士の対戦で、名古屋金鯱が勝利しました。
1937年の創設初年の秋季リーグで大躍進を遂げ、やがて江戸前野球というキャッチコピーも付けられる人気チームとなりました。このユニフォームはおそらくビジターと思われます。残念ながら継承球団も現れず、1943年に解散しました。
ニューヨーク・ヤンキースを意識したシックなユニフォームがこのチームの伝統でしたが、この年は配色に赤を多用した明るい感じのユニフォームにモデルチェンジしました。ただ、このデザインはこの年限りで、翌年はロサンゼルス・ドジャース風のユニフォームに変わりました。
1937~40年のライオンユニフォームには、この白のユニフォームと、商品No.29で出品しているグレーユニフォームの2種類あったようです。
中日は戦前の名古屋軍の時代に縦縞ユニフォームを使用していましたが、戦後はこの時期の2年間と1998年のサンデーユニフォームの時に縦縞ユニフォームを使用しました。
セネタースとは1945~46年のたった2年の命のチームで、後年の北海道日本ハムファイターズです。1946年には、青バットの大下 弘選手の豪打が一世を風靡しました。
戦後まもなくの1947年に日本野球連盟に対抗する形で誕生した国民野球連盟というリーグに属していた「大塚アスレチックス」というチームのユニフォームです。国民野球連盟というリーグはわずか1年の命でした。