ここで紹介しているチームは、当店が過去に製作したチームの一部です。ここで紹介したチーム以外も製作出来ますが、このサイトで製作可能なレプリカユニフォームは当該球団が既に消滅し、登録商標の権利等の帰属が存在しないチームに限らせていただきます。詳しくは御相談下さい。
大東京とは、現在の横浜Denaベイスターズの遥か昔の前身のチームです。このユニフォームはホームかビジターかは不明です。それにしても、最近はユニフォームの左片胸 マークをさっぱり見なくなりました。調べた限りでは、1998年に中日がホームゲームで限定的に着用したのが最後です。
この年から、スワローズのユニフォームの胸マークやラインに赤色が採用されました。この傾向は、連綿とという程ではありませんが、現在のユニフォームの配色にも受け継がれています。
この2年間のユニフォームは当時のミルウォーキー・ブレーブスのスタイルを完全に模倣していました。余談ながら、このユニフォームパンツには腰番号が付いていました。
1963年に西本幸雄監督が就任して、ビジターユニフォームはそれまでの紺に白のストライプから、このグレーユニフォームにモデルチェンじしました。このユニフォームで1967年にチームは悲願の初優勝、その後三連覇を遂げた縁起のいいユニフォームです。
名古屋とは、1936年に創設されたチームで、1946年には中部日本ドラゴンズに改称され、1948年には現在の中日ドラゴンズになりました。これはおそらくビジターユニフォームと思われますが、戦前のユニフォームにしてはかなり派手なデザインですね。
1953年に松竹ロビンスは大洋ホエールズと合併し、大洋松竹ロビンスというチームが誕生しました。ただ、松竹は合併翌年の1954年限りで球団経営から撤退し、1955年からは球団名は「大洋ホエールズ」になりました。
1936年に東京セネタースという球団が設立され、後に名古屋金鯱と合併して球団名を「大洋」と改称しました。その後、西日本鉄道が資本参加して「西鉄」と改称しました。後に西武ライオンズとなった「西鉄」とは関係がありません。
この年の近鉄パールスの成績は29勝97敗4引き分けで勝率2割3分8厘とい惨憺たるものでした。翌年からニックネームが「バッファロー」に変更になりました。
戦後間もなくの1947年に、日本野球連盟に対抗する形で国民野球連盟というリーグが誕生しました。宇高レッドソックスは、リーグ創設者宇高 勲が率いるチームでしたが、このリーグはこの年限りで消滅しました。
急映フライヤーズとは、現在の北海道日本ハムファイターズの前身です。実はこのユニフォームは、実際はボタンの代わりにジッパーを採用していました。本邦初のジッパーで脱着するタイプのユニフォームでした。ただ、このジッパースタイルはこの年限りで姿を消しました。