ここで紹介しているチームは、当店が過去に製作したチームの一部です。ここで紹介したチーム以外も製作出来ますが、このサイトで製作可能なレプリカユニフォームは当該球団が既に消滅し、登録商標の権利等の帰属が存在しないチームに限らせていただきます。詳しくは御相談下さい。

1976年後期 太平洋クラブライオンズ ビジターユニフォームシャツ

'76年前期のアメリカンフットボール型ユニフォームは不評で、この年の後期のビジターからスポンサーの太平洋クラブのロゴマークが付いたユニフォームスタイルに戻りました。

1955~59年の国鉄スワローズ ホームユニフォーム 布帛生地

御客様の御希望で、当時使われていた「布帛」という伸縮性の無い素材で製作しました。ユニフォームの色も、白ではなく「生成」という当時の色調を再現しました。正に当時の復刻版です。

1976年後期 太平洋クラブライオンズ ホームユニフォームシャツ

’76年前期のアメリカンフットボール型ユニフォームは不評で、この年の後期からは通常のユニフォームスタイルに戻りました

1976年前期 太平洋クラブライオンズ ビジターユニフォームシャツ

胸マークの代わりに大きな胸番号というアメリカンフットボールタイプのユニフォームのビジター版!本邦初のデザインでした。

1976年前期 太平洋クラブライオンズ ホームユニフォームシャツ

胸マークの代わりに大きな胸番号というアメリカンフットボールタイプのユニフォーム!本邦初のデザインでした。

1954年の高橋ユニオンズ・ビジターユニフォームシャツ

高橋ユニオンズとは後年の千葉ロッテマリーンズです。この球団名は1年限りで、翌1955年にはトンボユニオンズと改称しました。

1967~68年の東京オリオンズ・ビジターユニフォームシャツ

前年の’66年秋に来日したロサンゼルス・ドジャースの影響か、それまでストライプにこだわっていたユニフォームスタイルからストライプが消え、イメージがドジャースっぽくなりました。

1955~56年 大映スターズ・ホームユニフォームシャツ

大映スターズは、千葉ロッテマリーンズの前身です。この当時、パリーグは8球団制でした。今では考えられませんね。永田ラッパこと永田雅一オーナーが全権を握り、辣腕をふるっていました。

1955~59年の国鉄スワローズ・ホームユニフォームシャツ

この5年間は金田 正一投手の全盛期で、5年連続20勝以上の勝ち星を稼ぎました。

 

1967年の東映フライヤーズ・ビジターユニフォームシャツ

1967年の東映フライヤーズ・ビジターユニフォームです。1961~67年の7年間にわたって水原茂監督が指揮を執りました。その間、全てAクラスという素晴らしい成績でした。水原監督最後の年の’67年のみ、ビジターユニフォームがモデルチェンジしました。